1970年代にフォークシンガーとして大活躍し、今でも根強いファンが多い吉田拓郎さん。
今回は、吉田さんとお嫁さん・森下愛子さんの恋愛を中心にまとめていきます。
・現嫁の森下愛子さんとはどんな人?
・病気に悩まされていた?
・馴れ初めや結婚の経緯は?
・恋愛遍歴は?
もくじ
吉田拓郎の嫁は元女優・森下愛子!
30年ほど連れ添っている現在のお嫁さんは森下愛子さん。出身は東京、高校時代にスカウトされてモデルとして芸能デビューし、1977年には19歳の若さで映画の世界に。翌78年に出演した映画『サード』で大胆で妖艶な演技で注目を集め、さらに芸能のキャリアを重ねていくことに。
出演作品の傾向として、特に宮藤官九郎さん(クドカン)の脚本作品の常連で有名でした。
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・本名:吉田佳代(よしだ かよ)
・出身地:東京都武蔵野市
・生年月日:1958年4月8日
・身長/血液型:158cm/AB型
・学歴:麹町学園女子高等学校卒業
森下愛子の人物像
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森下さんは一人っ子で、3歳からクラシックバレエを習っていました。4歳の頃に両親が離婚し、ずっと母子家庭で育つことになります。小学校・中学校時代もずっとバレエに打ち込んでおり、将来はバレリーナになることが夢だったそうです。
また、森下さんの母親は再婚しなかったため、吉田拓郎さんと結婚するまでは母親と二人暮らししていました。行き当たりばったりな性格だった母親の影響か、森下さん自身もざっくばらんな性格になったと語っており、夫である拓郎さんも、ラジオで森下さんの性格を短気ですぐ怒ると評しています。
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・うちの佳代(森下の本名)は料理を上手く作れないと、機嫌が悪くなる
・うちの人はとても欠点が多い。それが治らない
・すぐ怒る。短気。かんしゃくもち。家内のお母さんもかんしゃくもちだった。
・親子喧嘩が始まると俺は二階へ逃げた。
・仲裁に入ろうにも怖くて怖くて、あまりに激しすぎる喧嘩だった
散々な言われよう・・・ですが、夫婦仲はおしどり夫婦と言われるほど良好。
夫婦仲については、後述しています。
森下愛子の趣味は「夫」!?
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森下さんは以前、番組の一問一答コーナーで「地球最後の日は、夫と過ごす」と答えるほど夫が大好きと語っており、普段からラブラブなのが伝わってきます。そこでは自身の性格を「面倒くさがり屋」だとしており、好きなことは「寝ること」「食べること」「贅沢してる時」。嫌いなことは「家事」「宅急便」であるそう。自由奔放な性格であることを伺わせますね。
また、サッカー選手の田中碧選手、三笘薫選手の大ファンとのことです。
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夫・拓郎さんから見ると、森下さんは年々強くなっているそう。近年は、むしろ拓郎さんのほうから「お前こんなに怖かったか?」と言われ、結婚当時と立場が逆転していることもあるそうです(笑)
森下愛子は結婚後にうつ病、移住することに
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1986年に17歳差で吉田拓郎と結婚するも、その生活は趣味も合わず好みも合わず、いつも喧嘩が絶えなかったそうです。前述のとおり感情をストレートに表す森下さんは、いつも吉田さんに当たり散らしていたとのこと。それでも喧嘩しつつも夫婦仲はそれなりで、結婚生活は続いていました。
そんな中、次第に胃の調子を崩す森下さん。徐々に物を食べられなくなり、体重が30キロ台までに減るようになってしまいます。結婚から2年後、1988年には体調不良を理由にドラマ「やっぱり猫が好き」を途中降板。そのまま芸能活動を休止。
これは仕事と家事を両立させようとしたが、その結果無理をして体調を崩したのでは?とも言われています。
たまたま同行したロケで、快方へ向かう
休業中は専業主婦として過ごすものの、起き上がれないほど体調が悪化。医療機関でも治療も効かず、最終的には医師の勧めで、当時住んでいた逗子から東京へ移住します。
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そこで転機が訪れます。たまたま同行した夫・吉田拓郎の番組『LOVE LOVE あいしてる』ハワイロケ。
そこでは当時17~8歳のKinki Kidsの2人も参加していました。その現場の雰囲気はとても良く、すごく楽しそうで、また仕事に戻りたいなと素直に思えるほどだったようです。通行人役でもいいからドラマに出れば元気になれる確信をもち、森下さんは女優復帰を決意します。
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そのロケで良い刺激を受けたことを聞いたKinki Kidsは「ありがとうございます。嬉しいです」と返していました。そして休止から11年後の1999年、TBS『美しい人』で復帰して以降、精力的に女優として活動を再開します。
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芸能活動休止中10年以上もの間、夫の吉田拓郎は怒ることも逃げもせず真正面から受け止め支え続けました。病名は非公表でしたが、おそらくうつ病や自律神経失調症など、心因性の病気ではないかと思われます。
吉田拓郎にも病魔が
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森下さんが復帰したのも束の間、今度は吉田さんに病魔が襲います。
・2003年に肺がんがみつかり、肺の三分の一を切除。
・2007年に「更年期障害、ストレス、うつ病の入り口」とブログで告白
・2014年にのどの声帯に「白板症」がみつかり手術で取って調べたところ、ガンだとわかったため放射線治療を受けた
仕事はなんとか継続、いまでこそ回復していますがストレスも重なって負担があったことは容易に想像できますね。
当時のことを振り返り、拓郎さんは「ぼくはその時、もう歌えない」というふうに何度も思ったといい、そんな拓郎さんを見て、森下さんは「必ず完治するから、1日、1日だから」と励まし、痛みで食べ物がのどを通らない時期には、毎日おかゆを作って介抱していたことを語っています。森下さんが献身的に支えていたのがわかるエピソードですね。
夫婦共に辛い病気を経験し、お互いに支え合いながら乗り越えてきた2人だからこそ、今の仲睦まじい夫婦関係が維持できているのかもしれませんね。
2020年から芸能活動の休止を”決断”
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森下さんは、2017年のドラマ『監獄のお姫さま』を最後ドラマに出演しておらず、2020年にはドラマの世界から事実上引退しています。
女優業引退については夫である吉田拓郎さんがラジオ『オールナイトニッポンGOLD』にて、「森下愛子さんもね、1年前からすべてのドラマの撮影の世界からのリタイアを決断しておりまして」と公表。
「これからの、いわば老老人生、いかに協力して、出来れば明るく、出来れば平穏に、出来ればより長く助け合いながら生きていこうと思っています」と続けました。
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吉田さんは70代、森下さんも60代になり、ある程度落ち着いてきたと同時に将来に備え終活を進めている矢先、新型コロナという社会の変化もあり、森下さんは拓郎さんと老老人生を明るく平穏に暮らそうとこれまでの生き方を見直し引退を決意したのかもしれませんね。
子供のいない二人は、どちらかが介護状態になった場合、老老介護が避けられません。どちらかが寝たきりになったらどうするか、という話はきっとしているのでしょう。特に吉田さんは老後資金の蓄えは十分に残していると思いますし、それほど悲惨な未来もなく、ただ夫婦でおだやかな生活を送るのだろうと想像できます。
追悼番組は嫌だと語る吉田拓郎さん
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拓郎さんは「死後」について、自分が死んだあと『追悼番組』が放送されることが嫌と発言しています。
吉田拓郎レベルの大物だと、各局が追悼番組をするのが当然だと思いますが、その追悼番組で友人や知人が自分の思い出話をされるのが嫌で、森下さんには『追悼番組の打診が来たら、絶対に断って!』とお願いしているそうです。
それに対し森下さんは『ベラベラしゃべりそうな人よりも、あなたが長生きすればいいじゃない』と返し、吉田さんもその返答に満足。『よ~し、長生きするぞ!』と意気揚々。
実際に70代から何か新しいことを始める人も増えています。森下愛子さんのほうも、現在60代前半でまだまだ活躍できる年齢で、女優業を引退するのは残念という声もあります。夫婦支え合って、充実した生活を過ごしてもらいたいですね。
吉田拓郎・森下愛子さん夫婦には、子供がいません。後述するようにスキンシップはあるそうですが、年齢的に難しいこともあり子供はつくらないことにしているのでしょう。
2人の馴れ初め
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2人の出会いは1981年、吉田拓郎のラジオ番組に出演した時になります。ただ、その時に仲が進展したわけではありません。その2年後、1983年のある日に美容院で偶然、吉田さんと再会。「今レコーディングやってるんで、見に来ませんか」と誘われて友人関係になったそうです。
しかし、2人のデートが週刊誌にスクープされるほどの関係に。スクープを受けての吉田さんの発言は開き直るような答えをしており、それは世間の不評を買うことに。
・愛子ちゃんは好きだよ。でも、スキがないんだよな。先のことは分からないねぇ
・いい大人なんだから、いいんじゃないの
・誰と飲みに行くかなんて、いちいち言わないよ
当時、吉田拓郎さんは女優の浅田美代子と結婚しているので、状況としては事実上の不倫。それに対し妻の浅田美代子さんの答えは、意外にも「2人のそれは交際ではないのでOK」。
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拓郎は昔から愛子さんのファン。いっしょにお酒が飲めて楽しいんじゃないのかな
そういう人だから問題ない。浅田さんの”天然”さからの発言だったのでしょうか?詳細は後述しますが、スクープされた翌年に2人は離婚することになります。
挫折が支えた結婚生活30年
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結婚は1986年。森下愛子さんは28歳、吉田拓郎さん40歳で12歳差です。前妻・浅田美代子さんとの婚姻中で森下愛子さんと交際が始まっており「略奪婚」と世間では評判が悪かったようです。
テレビ番組で「拓郎さんみたいな人を相手にするのは大変でしょう?」という問いにも「いいえ、前のお二人が角を取って下さったみたいで、今はとても扱いやすいですよ」と余裕の発言も。
結婚当初は、年齢差があったことや育った環境、好みも違ったためぶつかることが多かったものの、森下さんの体調不良や拓郎さんのガンの闘病を乗り越え、とても仲の良い夫婦になりました。
2度に渡る自身の離婚に関して、吉田拓郎が60代前半の頃に挫折の上に成り立っていると発言しています。
・(離婚を)2度もやっているわけだから、それは僕の人生の中では大きな負の要素だった。
・やっぱり大きな挫折を味わっているからね。そうすると、やっぱり3度目はうまくいくっていう。
・その挫折によって勉強しているわけだから。
女性関係が派手だった吉田拓郎さんでしたが、3度目の正直で森下さんとは結婚生活を上手く続けられているようです。2022年で、結婚36年を迎えます。
夫婦生活エピソード
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芸能界でもおしどり夫婦と称賛されている2人。テレビ出演の時は、夫婦の仲良しエピソードを披露しているため仲良し夫婦のイメージが強いです。
夫婦生活についてはエピソードというより、過去に本人たちから少し発言がされています。あまり隠す様子もなく、自由に生活できていることが伺えます。
画像参考:ニッポン放送ニュース
・2016年2月『報道ステーション』
「ご飯を妻と『うまいね』と言って食べるのが、これほどの幸せがあるかというくらいハッピー」
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・2016年8月11日『徹子の部屋』にて夫との「夜の話」
「ずっと言うんですよ私に。『1回どう?』って。機嫌がいい時は『今度ね』って言うんですけどね。」「忙しい時は『もぅうるさぁい!』みたいになるんですけど、まだ言ってるんですよ。1日に何回言ってくる(笑い)」
吉田・森下夫妻の間には子供はいない。
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上に前述した通り、現在の夫婦であるこの2人の間には子供がいません。ただその情報もありませんでしたが、この項目では子供についてまとめていきます。
子供がいない理由について
特に情報はありませんが、おそらく夫婦になってからというもの仕事が忙しかったりお互いに闘病生活を強いられるなど、子供を考える余裕はなかったのだろうと考えられます。
また、吉田拓郎さんの過去を見るに家庭を持つとトラブルが増え、音楽活動に支障が出てしまうこともあるため、あえて作らない選択をしたのではないでしょうか?スキンシップはあるとのことで、それが自然なのかなと。
子供は、義理の娘が1人!
森下愛子さんとの間には、最初の妻である四角佳子さんとの間には1974年に女の子が誕生しており、四角佳子が引き取って育てています。少しややこしいですが、吉田さんにとっては親権のない娘がいる、ということになります。
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名前は「彩」さん。生年と名前以外の情報がないため、芸能関係者ではないと思われます。彩さんがまだ赤ん坊であった頃に、吉田さんは彼女に向けた「彩たん」という曲を作っています。コンサートのみで歌われるため、知る人ぞ知るコアな曲となっています。また、「彩たん」には正式な曲名はなく、「あやたん」「彩たんの唄」など変わったりします。
四角さんとの離婚後、彩さんとはそれっきりで会っていませんでした。しかし1999年に番組で二十数年ぶりに娘に会い、吉田さんは『自分の娘じゃなかったらくどいてたかもしれない』と発言も。
彩さんは2003年結婚し、子どもも生まれていますが情報は見つけられませんでした。。。ちなみに、吉田さんは結婚式には呼ばれなかったそうです。
吉田拓郎の結婚歴は3回!
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吉田拓郎さんの恋愛についてはっきりと言ってしまえば、女性関係が派手だったといえます。それは女性ばかりの家庭環境で育ったため気持ちが偏っていたことや、モテて女性には苦労しなかったことが伺えます。それぞれ見ていきましょう。
1人目の元嫁・四角佳子
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1970年頃にフォークソングを通して吉田さんと知り合い、以降は仕事で会う機会が多かったようです。
ある日、酒癖の悪い吉田さんが4人相手に喧嘩をしてけがを負い、四角さんがその介抱をしたことが交際のきっかけ。
吉田さんの大ヒット曲「結婚しようよ」は四角佳子のための曲だったといわれています。
1972年に結婚を機に、四角さんは芸能活動を引退を決定。当時吉田さん26歳、四角さん20歳。1974年には娘の「彩」さんが生まれますが、性格の不一致から些細なことで喧嘩がたえずに1975年には離婚。
結婚生活は想像とはかなり違っていたようで、小さな衝突を何度も繰り返していたこと、喧嘩は言い合いではなく、口を利かなくなるといった陰湿なものだったとのこと。他にもお互いの自由奔放な性格、空いた心の隙間を埋めるために浪費を始めるなど、すれ違いが多く見受けられます。
そして決定打はやはり浅田美代子さんとの交際疑惑、いわゆる不倫が明るみになったことだと思われます。
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離婚後、吉田さんはラジオで「ぼくは決して女房は嫌いではない。好きな女なんだ。でも、暮らしていくのは耐えられない」と発言していますが、子どもができてからは夫婦仲は持ち直したものの結局うまくいかず、離婚は時間の問題だったことが伺えます。
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また後年、大日本雄辯會(現在の講談社)の雑誌『婦人倶楽部』で四角さんは、「盛大な喧嘩が何回もあり暴力を受けていた」といった内容。当時の吉田拓郎は、やんちゃで酒癖も悪かったことを語っていたようです。
2人目の元嫁・浅田美代子
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吉田さんが当時人気絶頂の浅田美代子のファンで、1974年にラジオ「吉田拓郎 オールナイトニッポン」にゲストに呼び、電話番号を交換したことが馴れ初め。数カ月後の浅田さんの誕生日に、「みんなでお祝いしたいから店に来なよ」との連絡が入り向かったところ、吉田さん1人しかおらず、その時に口説かれたあたりで交際を始めていると思われます。(この時、四角佳子さんと婚姻中!)
四角さんとの離婚後、交際1年でプロポーズ。吉田さんの奔放さに疑問を持つ浅田さんの両親は大反対。
そこで親交のある女優・樹木希林さんが、両親を説得しに浅田美代子の自宅へ行き、なんとか許しをもらい1977年に結婚へ。
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結婚後、女優業を引退し専業主婦になって夫を支えるも、結婚生活は1年程で破綻していたとみられ、その原因は浅田さんの”天然さ”といわれ、「最初の1年は楽しかったんだよ。でもね、2年目からはさ、頭がおかしくなりそうになったんだよ。」という発言も残っています。いわゆる”天然”すぎる浅田さんに、ついていけなかったのでしょうか?
1983年6月に森下愛子さんとの深夜デートをスクープされても浅田さんは「全然心配していません」と夫の不倫を否定。しかし同年中に女優業を再開した浅田さん。結婚生活を終える準備をしていたのかもしれません。
離婚騒動となりマスコミから「夫の不倫の影響で芸能活動を再開したのか」と聞かれると、「浮気性は主人の癖だから治りません。憎めないんです」と離婚を否定。それでも、結局その翌年(1984年)8月に正式に離婚に至ります。
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・離婚をしないで済む方法はないかと真剣に話し合った。
・いい家もあるし、いい女房もいる。不満はないはずなのに、結局わがままなんですよ。
・これからもお互い自由に気兼ねなく会いたい。
・家庭におさまるには自分は若造過ぎるし、もの作りをするには家庭があってはいかんと思った。
・離婚をしたあとはいい曲が書けそうだ。
離婚記者会見で吉田拓郎さんが語ったことは、クリエイター論にも重なるところがあり、不評をかいつつもどこか共感を覚えるものでした。浅田さんとの離婚から2年後、森下愛子さんと結婚に至ります。
まとめ
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調べると、今では「若かった」で済まされないくらい、世間のバッシングを受けそうな吉田さんの結婚歴。3人目の森下さんと30年も連れ添えるのが不思議なくらいです。。。
読んでいる方はどう思われたでしょうか。
芸能活動の休止、今後は若い人のサポートをすることが多くなると思われます。今後の活躍を応援しています。
・森下愛子さんは物言いに遠慮がなく、短期で面倒くさがりな性格。
年齢を重ねてからも相変わらず喧嘩もするが、夫は大好きと公言。
・うつ病から10年仕事を休止。たまたま同行した海外ロケで仕事の楽しさを思い出し、復帰へ。
・出会い自体はラジオ出演がきっかけ。馴れ初めは具体的には不明。
美容院で偶然再会した際にレコーディングに誘われて友人関係になって以降に交際を開始。
・これまでに2回の離婚歴。2回とも不倫・略奪婚だと世間では不評だった!