吉田拓郎が現在の活動に弱気発言?ラストアルバム『ah-面白かった』が意味する進退の意味は?

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伝説のフォークシンガーと言われ、日本のシンガーソングライターの草分け的存在として多くのファンを魅了した吉田拓郎さん。テレビ出演を終了することを発表し、多くのファンに衝撃を与えました。

今回はそ「引退」にまつわる動向やその原因について迫りたいと思います。

この記事から分かること!
・メディア露出をやめる理由
・現在の仕事内容について
・持病について

メディアで芸能活動終了を発表!

吉田拓郎さんは、音楽は続けるものの、芸能活動には区切りを置くことを発表。また、それに伴ってテレビやラジオなどメディアの出演も控えることに。

画像参考:yahoo画像検索

・2022年7月21日『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』が最後のテレビ出演
・ラジオ番組「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」も年内で終了 
・今後コンサートは行わず、音楽祭やイベントなどへの出演もしない。
・テレビやラジオ等へのメディア出演もしない

ラジオでもリスナーからの今後について聞かれたメールが届き、自身が感じている現実が変わってきたことを淡々と話す吉田さん。

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これを機にステージからは降りて、これからは若い人達のステージを観たり応援したい。若い人達が作る音楽も楽しみにしたい。悲観的にとらえることなく、変化そのものは楽しんでいきたいと語っていました。

「引退」ではなく「芸能活動の終了」の真意

吉田拓郎さんは音楽を辞めるわけではないので「引退する」という発言はしていませんしかし、芸能活動休止の発表を受けて各メディアでは「引退」の文字が躍ることに。過剰に煽るメディアのスタンスに、公式ブログで「騒ぎ立てるのは心が痛い」と発言も。

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ただ、それでまた反応されるのを避けてか「やるべきことは1つ、みんな笑顔で素敵な番組にしたい」と文を締めていました。

なお、明石家さんまさん、桑田佳祐さんなどいわゆる大御所の人たちは「以前もそう言ってった頃もあった。またすぐ戻ってくるんじゃないか」とも発言しています。
なので「引退」の文言は誤り、というのが正しいでしょうね。

最後となったアルバムの名前に歴史を感じる!

芸能活動に区切りをつけた吉田さんですが、それをきっかけとしたライブなどは行わないことを明言。結果として、最後のライブは2019年に行った全国ライブツアーだったことになります。

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本来は2021年の夏にライブで全てのコンサート活動終了となるはずでしたが、十分なライブ環境を提供ができないという理由で中止に。

2021年はコロナ禍の真っ只中。東京でのリハーサル、地方への移動やコンサート後の食事、楽屋ですら危険と隣り合わせで落ち着かない。その上、吉田 拓郎のライブは「客席と一体化してこそ完成される」のが原点だが、それが無観客だったりソーシャルディスタンスなど、複雑な環境下では満足なライブは望めないことが理由でした。

そして翌年、2022年6月29日にラストアルバムが発売。そのタイトルは『ah-面白かった』タイトルをつけたことは、吉田さんが想うこれまでの音楽人生に対する敬意も見受けられますね。初週4.6万枚を売り上げ、オリコン週間アルバムランキングで初登場・2位にランクイン。これはなんと42年8か月ぶりトップ3入り!画像参考:yahoo画像検索

コロナ禍という環境に邪魔されても、楽曲はしっかりとファンに届いたようです。

活動終了の原因が妻の看病というのは完全なデマ!

芸能活動を終了する理由として、「妻の病気」が一部ウワサになっているようですが、それはかなり根拠が弱いと思われます。理由は本人の発言通り、自身の「体力の衰え」そして「若い頃のような歌声が出せなくなったため」です。

とはいえ、実際に妻の森下愛子さんは病気を患っていた時期があります。

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慣れない家事と仕事の両立ができず精神的にバランスを崩し、胃の調子が悪くなり体重が30キロ台まで減ってしまい、1988年にドラマを全て降板、芸能活動を一時休止。休業後に専業主婦となるが、そこからさらに体調が悪化し「うつ状態」に。医療機関での治療も効かず、伊豆から東京へ引っ越し。

森下さんがうつ状態の10年間、吉田拓郎さんが側で支え続けたといいます。のち1999年、森下さんはテレビドラマ「美しい人」で仕事復帰すると、うつ病の症状が劇的に改善して女優として本格的に復帰。

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それから20年ほど女優として活躍し、2021年4月9日、自身のラジオ内で森下愛子さん(当時63歳)は女優業引退を発発表し、今は夫・吉田拓郎さんと平穏に暮らしています。こう見てみると、やはり「芸能活動の終了の原因が妻の病気」というのはデマだというのが分かりますね。

夫婦仲は良く、ケンカはしても仲睦まじい

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1986年12月、結婚当時は森下愛子さん28歳で吉田拓郎さんは40歳でした。吉田さんのラジオ番組にゲストに呼んだことがきっかけで知り合いになり、それから2年後に美容院で偶然再会、レコーディングに誘われたことで急接近。

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30年以上連れ添っていて、現在も夫婦仲は良好。結婚自体は不倫から始まったともいわれていましたが、今ではおしどり夫婦と紹介されることもあります。

子供は最初の嫁・四角佳子との間に娘が1人!

吉田さんには結婚1度目の妻・四角佳子さんとの間に女の子が生まれており、名前は「彩(あや)」1974年生まれなので現在は47歳だと思われますが、離婚した際に四角さんに引き取られたため一緒に生活はしていません。

そんな彩さん専用の曲があり、知る人ぞ知るその曲の名前は「あやたん」。(正式名はなく、時々「愛娘あやたん」、「彩たんの唄」と呼ばれることもある)これはライブでしか披露されなかった曲で、内容は生まれたばかりの赤ちゃんに優しく語りかけるような歌詞になっています。

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なお、その彩さんは2003年に結婚し子供もいて、名前は「愛ちゃん」というそうです。結婚式には呼ばれなかったそうですが、吉田さんはいつのまにか”おじいちゃん”になっていますね。

 

 

 

現在の活動内容は、大きく展開しない方向で。

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吉田拓郎さんは、大きな活動はしていません。月に1回、ラジオ番組「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」があるだけです(2022年現在)
それも年内で終了するとこのことで、これで芸能活動は終了する見込みです。

年収・収入源は印税がメイン!

確実にコレ!といえるような収入金額はわかりませんでした。ただ、生活を支えているのは印税収入が基本となっていると思われます。吉田拓郎さんの楽曲は現在でも愛され続けており、普通に暮らせるレベルの年収は獲得しているものと思われます。

根拠は薄いものですが、一部ネットではカラオケや音楽配信の収入によって5億以上の資産があるのではないかというウワサもあります。

 ・カラオケ、音楽配信による印税収入を中心に、推定1億円の年収
 ・印税収入・家・車等あわせた推定総資産は5億円以上

吉田拓郎さんは「年収は○○」など、稼ぎをひけらかすような人ではありませんが 、その時に得た蓄えは十分にあるといえるでしょう。全盛期の頃の推定年収は後述していきます。

全盛期は時流に乗っかってものすごいことに!

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歌手としての全盛期は1970年代。フォークソング売上ランキング最高位は「旅の宿」(1972年発売)の12位、売上枚数70万枚。年収も1億円を超えていたそうですが、それは現在でいう5億円相当。かなりすごいです。。。

当時は『反体制・反商業主義こそがフォークソング』という危ない時代で、彼のように日常生活や恋愛をモチーフにした楽曲は大衆に受けることがありませんでした。
ライブでも「帰れ」コール、石やビール瓶を投げつけられたことも。しかし、1972年に『結婚しようよ』をリリース。40万枚以上を売り上げて話題になった途端に状況が一転。恋愛や日常に感じたものを綴るスタイルは、広く受け入れるようになっていきます。

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日本を代表するシンガーソングライターの先駆けとして評され、同じくあいみょんも自身のルーツとして、吉田拓郎の名をあげています。髪を伸ばしてギターを弾くスタイルが流行になりましたが、もしかすると吉田拓郎さんのマネだったのかもしれません(笑)。

過去の年収は5億円を超えた!?

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時流に上手くのった吉田さんは、人気とともに年収も跳ね上がることに。

・長者番付に名を連ねる高年収の歌手だった(歌手部門で4位)
・全盛期1970年代の年収は約7800万円
・必要経費を差し引いた額なので、実際は1億円(現在の価値で5億)は超えている

当時サラリーマンの平均年収は約90万円。桁違いに稼いだことになります。デビュー時は高円寺に住んでいたが、収入が増えると渋谷区恵比寿の高級マンションに引っ越し。浅田美代子さんとの結婚時には一軒家も建てるほどでした。資金面では相当余裕があったことがわかりますね。

今だからこそ言える過去。若い人、特に篠原ともえが嫌いだった

吉田拓郎は若い人が嫌いというエピソードをご存知でしょうか?時は、『LOVE LOVE あいしてる』という音楽番組の開始当時。吉田拓郎さんは50歳になる頃。メンバーである篠原ともえはギャーギャーと騒ぎまとわりついてくるキャラクターで、吉田さんが最も苦手で嫌いなタイプ。

 画像参考:Twitter

こんな子が毎週来るなら俺は番組降りる』とプロデューサーに何度も申し出たほど。KinKi-Kidsや篠原ともえ、そして若いゲストたちと番組を続けるうちに次第に心境の変化があり、彼らから勉強しようという積極的な気持ちが芽生えてきたそうです。

今では「僕の50歳からの先生は、この3人です」と、Kinki-Kidsの2人と篠原ともえの名を出すほど打ち解けていて、「篠原とKinkiとの出会いを奇跡だと思っている。」とも。篠原さんとは彼女がデザイナー転向を決めるきっかけの一言「お前の服を見てると楽しいから、絶対になったほうがいい」と後押しするなど、お互いに「恩人」「親友」と言えるほどの仲良しになっているようです。

 画像参考:篠原ともえインスタグラム

吉田拓郎本人の病気・がんとの闘病生活

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本人はがんや病気を患い、活動にたびたび支障が出ていた時期もありました。

・2003年4月:肺がんが見つかり、コンサートツアーを延期。肺の3分の1を切除し無事回復。その年の秋に復帰コンサートで全国を回ったことから、肺がんが完治したことがわかる。

・2007年 :『更年期障害、ストレス、うつ病の入り口』とブログで告白

・2009年 :全国ツアーの最中である7月8日大阪公演直前に体調不良となり、診察で慢性気管支炎と診断される。約2週間の自宅療養となった

・2014年 :喉の声帯に「白板症」が発見され手術で除去。検査の結果それががんと判明。術後数カ月間、毎日放射線治療を受けている間も、喉がかなり痛く声も出ず、食事がつらく苦しい日々を送る。一時は歌うことを諦めかけたが、妻の森下愛子さんの献身的なサポートにより2016年に復活

吉田さんの芸能活動の中は、こういった闘病生活の面もあり、それを受けてラジオ番組などでは「僕はあまり時間がない」といった発言も。

不謹慎ではありつつも、一部死亡説が出たこともあります。がん治療のため活動を一時休止したこと、慢性気管支炎でツアー中止となったこと、さらに2014年喉のがんを患ったことでメディア出演が減ったためともいわれています。がんによる出演頻度の低下は、ネガティブなウワサを引き起こしやすいですね。

まとめ

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以上、吉田拓郎さんの現在についてご紹介していきました。

この記事から分かったこと!
・芸能界の休止は、ある程度の役目を終えたと感じたから!
・現在の仕事内容は2022年に終了する月1ラジオだけ。
・持病については、2003~2016年の間にがんやうつ病、など長く付き合うことになったが、いずれも回復。
・過去の恋愛は不倫から始まった恋といわれ、世間的にもあまり評判は良くないが、3人目の嫁とは30年以上付き添い、今ではおしどり夫婦と紹介されることも。

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