【余命宣告されても関係ない!】深津絵里の母・輸美子さんは書道家!末期の肺がんで亡くなるも、明るい姿は写真と一緒に残っている

女優としてCMやドラマ、映画などで幅広く活躍している深津絵里さん。大ヒット作品『踊る大走査線』に出演したことも大きかったのでしょう。

そんな深津絵里さんは過去にお母様をガンで亡くされています。

今回は、深津絵里さんのお母様にまつわるエピソードについてまとめていきます。

深津絵里の母親はガンで亡くなっている!

深津絵里さんの母・輸美子(ゆみこ)さんは、2015年6月11日に67歳で亡くなっています。

参考画像:yahoo画像検索参考画像:YouTube

2013年からの体調不良に悩んでいた輸美子さんは翌2014年に肩のしこりが気になり検査を受けたところ、肺がんが見つかってしまいます。医師からは「余命3カ月、長くて1年」と宣告されていたようです。

参考画像:スポニチ

輸美子さんは2014年から肺がんにより闘病生活となりましたが、本人の意思で放射線治療・抗がん剤治療は拒否されていました。深津絵里さんも含め、家族はその意向を尊重していたのです。

2015年には症状が落ち着いて一時退院もしたのですが、報道の通り容態が急変し家族に見守られながら息を引き取りました。

なお輸美子さんの人物像・人柄については後述します。

母は深津絵里の到着をを待ってくれていた?

2015年5月は深津絵里さんが映画『岸辺の旅』でカンヌ国際映画祭に招待されていた時期です。

普段は忙しい深津絵里さんですが、カンヌから帰ってきたばかりでたまたまスケジュールが空いており、母が息を引き取る前に立ち会うことができたようです。

画像参考:yahoo画像検索

仕事で看取ることもできない人もいる中、まるで母が待っていてくれたかのようにも思えますね。

また、映画の『岸辺の旅』は亡くなった夫への気持ちの整理がテーマとなっています。現実とは対象が違うものの、深津絵里さんからすると偶然にしてはできすぎているように感じたことでしょう。

母の死後、仕事に手が付かなかった深津絵里

母親が亡くなった報道では深津絵里さんはコメントを特に残していないようですが、2021年に女性自身では亡くなられた当時の話に焦点を当てています。

今でこそ周りのスタッフと談笑できるようになった深津絵里さんですが、「母親の亡くなった翌年以降は仕事を減らしていた」といった部分に当時のショックが計り知れなかったことを表しています。

画像参考:女性自身

深津絵里の母親は末期ガンをブログで公表していた!

輸美子さんは2014年11月2日の自身のブログでガンであることを公表していました。

2014年8月24日の時点で諭美子さんは闘病中に自身と同じようにガンで苦しむ人々を励ますような、「余命宣告から3か月経っているが今こうして生きている」「癌で悩んでいる方は皆大丈夫だよ」といった文言をブログに投稿していたようです。

「肺癌を患い余命3ヶ月
長くて1年と宣告されて今半年

毎日首肩腕の痛みを耐えて治療もせず
毎日痛みに耐えて頑張ってます

肺癌だからと余命宣告されても
気持ちの持ち方で絶対に癌に勝ってやると負けず嫌いの私は
沢山の友人に助けられています
本当に友人には感謝しております」
画像参考:輸美子さんのブログ

今現在そのブログは記事がほとんど削除か非公開にされているため、見ることができません。

また、以下は調べた限りでの時系列となります。

2013年  体調不良を感じていた
2014年  肩のしこりが気になり病院に受診

2014年2月 肺がんの末期と診断
2014年4月 余命宣告「あと3か月、長くて1年」

2014年11月 ブログで公表

2015年4月8日 切除手術のために入院、既に転移していたことも判明
2015年5月11日 併発していた肺炎の症状が落ち着き、一旦の退院も

2015年6月中旬 容態が急変、逝去

母の気丈なふるまい

輸美子さんはがん治療のために入退院を繰り返すよりも書道家として人生を全うしたいと話し、治療は拒否する決断を取り家族もその意向を尊重していました。

彼女のブログの過去ログには「私は癌でも奇跡が起こる!」「気持ちの問題」とあります。

「気持ちの持ち方で絶対にガンに勝ってやる」と綴っていたという情報もあり、その文章は彼女が自分の人生を切り開いてきたことを証明するような快活さが溢れています。

余命宣告されて3ヶ月は過ぎてます
私は癌でも奇跡が起こる!いゃ起こして見せる
気持ちの持ち方だと思うなぁ!

だから癌でも気にしてないです
何より毎日楽しく(笑)て過ごすことです
沢山のお友達に助けられている私は幸せなんです

余命1年が何年も生きてたら 皆様 笑ってくださいねぇ
画像参考:yahoo画像検索

普通は自分がガンになるとは思わないものですよね。さらに末期と診断され、かつ余命宣告までされると落ち込んでしまいます。

パートナーや子ども、親や友人など残される人を思って心配したり、今後の仕事の事が気になったり、どうして自分が?と悩み続けて闘う意思も消えてしまうでしょう。

輸美子さんの場合は葛藤することもあったでしょうが、最期の瞬間まで悲観することなく前向きに生きていたことが伺えるものでした。

深津絵里の母親・輸美子さんは朗らかな人!

前述しましたが、肺ガンだからと余命宣告されても『気持ちの持ちようで絶対にガンに勝ってやる』と気丈な方でした。

おしゃべりが好きでどこにでもいるような主婦といった人物で、とても前向きで明るくたくさんの友人たちに愛されていたようです。

画像参考:yahoo画像検索画像参考:サイゾーウーマン画像参考:Amebaブログ

また、娘・深津絵里さんが芸能界の門をくぐる時にも「天狗にならないように」と忠告するなど、謙虚な姿勢もあわせ持っています。プライベートでは女優・安達祐実の実母でタレントの安達有里さんと仲良しでママ友だったそうですね。

書道家としても魅力的な人!

書道家であった父の影響で『書』というものが身近にあり、3歳の頃からなんとなしに書いていたといいます。

大人になってからは服飾デザイナーの道を進んでいましたが、45才の頃に「日本の文化を伝えていきたい」という想いが芽生えたことでそれまで経営していたブティックを閉めて、以降は本格的に書道に取り組むようになっています。

画像参考:YouTube画像参考:YouTube画像参考:YouTube

2003年頃、54歳当時に上海大学で書道を学びました。歯ブラシやほうき、たわし、ストロー等も筆代わりにして、両手や左手を使って書く「漢字アート」とよばれる独自の手法で個展を催し始めます。

雅号「諭黄(ゆんほん)」の名で世に出された作品は、上海やシンガポール、ニューヨークなどでも非常に高く評価されています。なお「諭黄(ゆんほん)」の名前を付けたのは実の父親、深津絵里さんからは祖父にあたる方です。

画像参考:朝日新聞デジタル

2014年に『大衆のノーベル賞』を獲得

2014年11月に知的財産や文化振興に貢献した人物に与えられる民間非営利団体が主体の『東久邇宮文化褒章』を受章しました。彼女のブログでは嬉しさを「一生もらえるとは思ってもいなかった」と表現しています。

今迄海外で活躍貢献してきた成果がこのような素晴らしい賞を与えられたそうです
私はこのような素晴らしい賞は一生貰える等思ってもいません
画像参考:輸美子さんのブログ

深津絵里への親心も

書道家で深津絵里さんの母親でもある諭美子さんには生前、メディアからの取材依頼や出演オファーも多かったようです。しかし、 『深津絵里の母』とみられるのを嫌がっていたため、深津絵里さんの母であることを明かすかたちでの出演依頼を一貫して拒否してきました。

過去にもパチンコ店にいる様子を報じられ、暗に『清純派女優・深津絵里の母はヘビースモーカーでパチンコ狂』と絵里さんのイメージを悪くするような内容だったのです。名誉棄損での訴訟も考えたものの、深津絵里さんへ迷惑をかけるのを避けるため思いとどまったといいます。

これらのエピソードは娘の活躍を邪魔をしたくない、という親心からきたのでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.