あの不倫女だけは許せない!香川照之の母にして昭和の大女優・浜木綿子の壮絶人生まとめ

俳優・タレントとして人気急上昇中の香川照之さんですが、今回はそのお母さんについて。

かつて昭和の大女優として一世を風靡。宝塚から歌舞伎役者、声優などの経歴や恋愛遍歴、「許せない発言」についても言及していきたいと思います。  

 

この記事から分かること!
・浜木綿子さんの人物像・人気ぶりについて
・現在の生活について
・結婚と離婚について
・教育方針について

香川照之の母は昭和の大女優・浜木綿子(はまゆうこ)!

画像参考:Twitter

・浜木綿子 本名:香川 阿都子(かがわ あつこ)
・生年月日 1935年10月31日、現在は87才。(2022年現在)
・出身地 東京都目黒区

趣味は多く、公園の散歩や庭いじり、絵を描くなど。一時期クラシック音楽にハマっており、コンサートにも出向くこともあるそうです。

また日課として就寝の30~40分の間にスクワットエアロバイクさらに柔軟体操
欠かさずしているとのこと。

これには公演を乗り切るための体力づくりでもあり、同時に舞台という生モノの世界において、役者の投げたボールに臨機応変に対応できるようにする必要がある。そのために頭と体を柔らかくしておきたい、と持論を語っていました。

画像参考:ツカッテヨカッタオンライン

また、今後はパソコン英会話にも挑戦したいと発言も。年を重ねて、ますますパワフルな人ですね!

 

宝塚劇団の娘役として絶好調!

「文化庁芸術祭奨励賞」など数々の賞を受賞している浜木綿子さん。生まれは東京ですが、中高時代は大阪で過ごし、宝塚音楽学校に進学することに。

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1953年には40期生として宝塚歌劇団に入り娘役でデビューを飾ります。64人中3位という好成績での入団でした。以降、『雪組』のトップ娘役として人気を博すように。

画像参考:エントピ

1961年には宝塚歌劇団を退団。東宝と契約を結び、舞台女優として活躍していきます。

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80年代になると2時間ドラマを中心に、数多くのテレビドラマに出演するようになります。代表作は「監察医・室生亜季子シリーズ」「おふくろシリーズ」

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2000年には「紫綬褒章」、2014年には「旭日小綬章」を綬章することに。

「毎回、これが最後と思いながら舞台に立つ」と語る浜木綿子さん。淡々とキャリアを積み重ねていくと、こうなるんでしょうか?達観していますね。

芸名「浜木綿子」の由来は、強く・長く・逞しく!

「浜木綿子」の名付け親は、劇作家の堀正旗さんだといわれています。

由来の直接的な理由については不明ですが、「浜木綿(はまゆう)」という花があり、それがもとになっているという説が有力です。花言葉は「穢れのない」

画像参考:wiki

・「木」にはたくましさ。心身ともに成長する。
・「綿」には永続性。長く続く。絶えない。

「木綿子」には強く長く、成長してほしいという願いがいるのでは。「浜木綿」の花を知らなくても、「木綿子」で「ゆうこ」と読ませることで印象を残す狙いもあったのかもしれません。

現在は舞台を中心に悠々自適な生活をしている!

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最近の仕事はテレビではなく、舞台を軸に活動されています。1年のうちの数か月、座長公演とその稽古期間、他にCMなど。

それ以外の仕事はほとんどなく、息子である香川照之さん一家と同居し、悠々自適
生活を送っている様子。そういった事情でメディアで目にする機会が減ったために、一時期は死亡説も(不謹慎!)。もちろんデマです。

仕事はセーブして積極的にドラマには出演はせず、自分のペースで続けているのでしょう。

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御年87歳。孫も生まれて、”おばあちゃん”に。それでも年齢を感じさせない凛とした表情から、往年の貫録を見せつけてくれますね。

憧れの先輩の訃報によせて

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2019年には立て続けに有名な女優さんたちの訃報があり、その際に追悼コメントを残しています

5月14日、心不全でこの世を去った京マチ子さんへ
「京マチ子様は私にとって憧れの方でした。独特な笑い声が何とも魅力的で、お顔も舞い姿も美しく、舞台の上でいつもドキドキしていました。」

また、10月24日にすい臓がんで亡くなった八千草薫さんへは、「また一人、また一人と上級生がいらっしゃらなくなって寂しいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼コメントを残していました。

幸せな結婚生活は、長くは続かなかった。

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浜木綿子さんの過去の恋愛、結婚生活について書いていきます。調べるうちに、色々と苦労を重ねていらっしゃることが確認できました・・・。

まずは時系列を。

・市川猿之助と結婚
・香川照之を生まれる
・猿之助の不倫
・浜木綿子、猿之助と離婚
・再婚はしない

では、順に詳しく書いていきます。

市川猿翁(当時は市川猿之助)と結婚も、わずか3年で終止符

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1965年市川猿之助と舞台で共演したことをきっかけに交際をスタート。交際期間は数か月ともいわれており、スピード婚だったようです。

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NHK大河ドラマ『太閤記』に出演していたものの、第一子を妊娠したことで途中降板。結婚した同年に出産をしていることを考えると、できちゃった婚ということになります。

子供は男の子が1人。のちの人気俳優・香川照之さんです。

画像参考:フライデー

しかしここで暗雲が。

1968年猿翁さん16歳年上の藤間紫さん不倫していたことが判明します。浜木綿子さんと猿之助さんが電話で話していると、電話の奥で女性の声。「誰かいるの?」と聞くと、きつい口調で「誰もいない!」と返答。お互い察してしまったのでしょう。その後は話し合いもなく、猿之助さんは家を出て行きました。

藤間紫さんは、猿翁さんの師匠の妻にあたる人で、かつ初恋の人。相手は16も上で、師匠の妻。さらに2人の子供もいましたが、過去の恋慕を断ち切ることはできなかったようです。17年後の1985年に藤間紫さんは夫(猿之助さんの師匠)と離婚した上で、猿の助さんと再婚することになります。

不倫をきっかけにお互い心が離れていき、1968年離婚が成立。子供の親権は母親である木綿子さんが持つことに。3年あった結婚生活は実質1年と数か月。それ以外は別居生活だったそうです。

離婚当時、その原因は浜木綿子さんにあると非難されたことから「悔しくいけど、悔しすぎると涙が出ない。大声上げて叫びたいと何度も思った。」と、親しいインタビュアーには語っています。

シングルマザーになってから舞台や映画、ドラマをガンガン受ける姿は、まるで夫婦生活を忘れるかのようですが、浜木綿子さん自身は結婚生活を「一時的であっても、愛されていたことは本当です」と肯定的にとらえているようです。

龍虎と結婚を考えたが再婚はせず、現在も独身のまま

浜木綿子さんは再婚をしませんでしたが、離婚から7年後の1975年~85年の間にお付き合いしていた相手はいました。元小結でタレントだった龍虎さんです。

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世間は再婚するのかと騒がれ始める中、大学生になった息子・香川照之さんは母に「そろそろ別れたほうが良いのではないか」とやや冷めた反応。龍虎さんが家を訪れた時も、背を向け壁に向かって黙って正座で座っていたとのこと。龍虎さんは「やっぱり子供は難しいね」と口を漏らしていたという話も残っています。

この時、香川照之さんは龍虎さんを新しい父親として受け入れることが難しく、家族になることを想像ができなかったのでしょう。それを受けて浜木綿子さんは龍虎さんに「子供にとって、父親は1人しかいない」と、関係に終止符を打ちます。

ちなみに龍虎さんは、やがて別の女性と結婚することになります。

45年間絶縁状態だった元夫・市川猿翁とついに和解!

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猿翁さんと離婚してから45年後。何の縁か、まさかの和解へ事が運びます。

浜木綿子さんは、香川照之さんの子供(市川團子・いちかわだんこ)の襲名披露のために稽古場に向かうと、そこには猿翁(猿之助)さんの姿が。香川照之さんが手引きしたようで、本来は顔も見たくないと言っても不思議ではないと思うんですが、口から出たのは自然な挨拶。

「このように照之を立派に育ててくれてありがとう。」という猿翁さんに対し、浜木綿子は笑って「ええ、大変でした。」と返答。

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1分足らずの会話でしたが、浜木綿子さんはこの時の挨拶について「本当に不思議。この45年間は一体、何だったんだろうと思えるぐらい抵抗もなく、自然に話すことができた。これも照之がもたらした天の啓示」と振り返ったそうです。

息子・香川照之に対する教育方針は、優しく、そして厳しかった

画像参考:Twitter

浜さんは離婚後、ひとり親になって子供(香川照之)を育てていくことになるのですが、元夫である猿翁さんがテレビに映った時には必ず好意的に「パパは素晴らしい人」と伝え続けました

これは息子が成長しても心に傷を負ったり、性格が悲観的にならないないように配慮したものと思われます。

ただ、時折「あの人(猿翁)よりも立派な人間になってちょうだい」、「大物になって、見返してやりなさい」と言ったり、特に藤間紫さんのことはあの女は絶対に許せないと、どうにも抑えられいこともあったようだと、当時を知る関係者は語ります。

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『母は父親に対して何か後悔めいたものがある。それと父親を奪っていった女の人は許すことができない』

香川照之さんは、複雑な家庭環境に身を置きつつも、母の言葉からなんとなく両親を仲直りさせたい、と漠然と感じたのではないでしょうか?

香川さんは教育熱心な母に応えるように猛勉強。その甲斐あってか学歴は華々しいもので、幼い頃から勉強に励んだ結果、名門・暁星学園(※偏差値68前後)に通い東京大学に合格、文学部社会心理学科を卒業。

余談ですが、同期には「今でしょ!」の名文句でブレイクした林修さんがいました。香川さんがどれだけ優秀だったかが分かりますね。

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25歳になった香川さん、勇気を出して猿翁に会いに行くと、「あなたとは親子関係ではない。2度と会うことはない」と冷たく追い返されてしまいますが、時がたち香川さんの息子さんの誕生をきっかけに関係が改善。無事に和解となります。

これには「裏で藤間紫さんが関係を取り持っていたのではないか」ともいう関係者もいたようです。

香川照之「母を離婚した父の墓に入れたい」

2011年の11月、香川さんの「母は父の墓に入ってほしい」という発言が波紋を呼ぶことに。この発言、要は「自分たちを捨てていった2人と、母も一緒にする」という受け取ることもできます。

画像参考:ポストセブン

これを受けて浜木綿子さんはいくら愛息の発言でも、さすがに冗談だろうとかわしています。香川照之さんの真意としては、自分にとって唯一の両親だから、最後には一緒に仲良くいてほしい、というところでしょうか。

香川さんをよく知る芸能関係者の間では、不倫の末に別れてしまった両親を想う、息子という立場でしか言えないメッセージだという声も。

画像参考:ポストセブン

息子という立場から、どうして親は別れてしまったんだろう、そんな想いがずっとあったのでしょう。
なかなか切ないメッセージですね。。。

あとがき・まとめ

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この記事から分かったこと!
・成績優秀で、華やかなエリート街道を進んでいた!
・現在は、悠々自適な生活で落ち着いている!
・結婚生活は短く、不倫をきっかけとして終わりを迎える。
・再婚も考えたが、再婚はしない選択をした
・感情的な面もあったが、基本的には子供のことを優先した行動をとっていた

以上、浜木綿子さんについての記事でした。

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