井川遥は元・韓国籍の趙秀恵!韓国人の面影がゼロなのはクォーターだから。帰化して現在は日本国籍に。

2000年代を代表する『癒し系タレント』として今なお語られる井川遥さん。実は彼女はもともと『韓国籍』で、帰化した今は『日本国籍』となっています。過去に彼女の口から『在日韓国人』であることをカミングアウトしたことで話題になりました。

そこで今回は、井川遥さんの国籍にまつわるエピソードについて一連の流れをまとめていきます。

現在、井川遥の国籍は『日本国籍』

結論からいうと、井川遥さんは韓国籍から帰化して日本国籍を取得しています。なので現在はれっきとした日本人。

詳しくは後述しますが、祖父が韓国人とのことで井川さんは在日3世にあたるとのこと。つまり韓国と日本のクォーターとなるので韓国の血はかなり薄いものとなっています。なお、祖父が日本にきた理由は情報がありません。

それにしても、井川さんの顔を見て『もともと日本人ではない』と言われても信じられませんよね。

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かつての本名は『趙秀恵』(ちょう・よしえ)

井川遥さんは短大時代、1995年~1998年頃には読者モデルとして活動していました。

読モ時代の名前『趙秀恵』が本名となり、読みは『ちょう・よしえ』、韓国読みだと『チョ・スヘ』。ファンの間では、この頃には在日韓国人だということが知られていたようです。

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2001年に『在日』であることを公開していたが・・・

芸能界にデビューする際に名前を『井川遥』と芸名を変えたのは、国籍を隠しておきたい所属事務所からの指示だった可能性があります。ちなみに、『井川遥』の由来については情報がありません。

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芸能界デビューして間もなく、井川さん本人の口から自身の国籍について何度か語る場面もあったものの、芸能界全体に『韓国系のルーツ』を公開した時に売り上げを悲観する思惑があり、その部分はカットされてしまう時代だったようです。

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こういった流れは、井川さんだけでなく他のタレントも同様で、『在日』であることがバレると売り出しづらくなるなど、特にこの時代はイメージを守りたい事務所の意向が強く残っていた様子ですね。

2012年に『在日だった』ことをカミングアウト

結局のところ井川さんが在日韓国人の3世であったことを誌上のインタビューでカミングアウトできたのは2012年。ファッションデザイナーの松本与(まつもと・あとう)さんと結婚し、さらに2人目の子供を出産したタイミングでした。

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子供たちがまだ幼い時期に、将来を見据えて公表することを決断したといわれています。

隠したまま週刊誌にスクープとして扱われると、子供がいじめの標的になることもある。本人の口頭から疑惑を先に解消しておくことで、世間体のイメージも悪くしない考えだったのかもしれませんね。

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事務所の許可もどうやら出ていたようで、結婚して子供も生まれた井川さんの意向を汲んでくれたともいえますし、井川さんのファン層もいい大人になっていて、韓国籍のルーツを発信しても誹謗中傷なとは飛ばさないだろうと考えたのではないでしょうか。

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また、結婚相手が実業家である松本氏で、井川さんは女優としてのの仕事がなくなっても、経済的には大丈夫だとして発言できたのかもしれません。井川さんは子供たちの通う学校の行事にはすべて参加しているという声もあり、子供に対する覚悟が伺えます

結婚後に日本国籍を取得

井川遥さんは2006年9月7日に日本国籍を取得しています。結婚したのは同年11月22日なので、国籍の取得をしたキッカケは、すぐ先にある結婚を意識したものかもしれません。

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井川さんの本名については、結婚したことで苗字が変わり『趙秀恵』から『松本秀恵』になったことになります。この頃から『在日だった』カミングアウトをいつするか、考えていたのかもしれません。

井川遥は韓国語が話せないのは当然

井川さんは在日韓国人ではあったものの、実のところ韓国語は話せないと思われます。

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それもそのはず。生まれは東京墨田区で、育った場所も練馬区。そして韓国に住んだことは一度もない様子。そもそも韓国語を話す環境は周りにないので、言語能力は普通の日本人と変わらないでしょうね。

5人家族で平穏な暮らし

井川さんからはあまり語る機会もないでしょうが、家族構成と少しだけエピソードが語られています。まず家族構成は、父、母、兄、姉、妹(井川遥さん)の5人で、井川さんは3人兄弟の末っ子。父親からは、食事のマナーや話し方を厳しくしつけられたようです。

両親が共働きの家庭であったとされ、幼い頃から家事の手伝いをしつつも、平穏な暮らしだったそうで、井川さんは内向的な性格でしたが、快活な姉の影響でよく話すようになったとのこと。なお、井川さんの両親や祖父について調べてみましたが、出自や年齢など一切の情報がありませんでした。一般人のため、特に情報が出されていないものと思われます。

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小学校でのエピソードとして、背の高かった井川さんは整列ではいつも一番最後尾。クラスの男子からは「化け物」と呼ばれからかわれたり、女子のリーダー的な存在であったために、女子がいじめられるのを見ると、男子に真っ向から文句を言いケンカしていたことも。

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練馬区の小学校と中学校に通い、石神井にある高校へと進学します。

小学校時代から「おニャン子クラブ」が好きで、特に高井麻巳子のファンだった井川さん。
偶然にも、高井さんは未来の自分と同じ「癒し系アイドル」でした。

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デビューは読者モデルから

卒業後は東横学園女子短期大学に入学。ここで前述した『趙秀恵』の名義で、読者モデルを開始します。

一旦モデルを辞め、OLとして会社員をしていましたが半年で退職し、再びモデルとして活躍することになります。1999年に『東洋紡水着サマーキャンペーンガール』に選ばれ、それが芸能界デビューに繋がることに。

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翌2000年には『アサヒビールのイメージガール』になり、日本での知名度を上げていきます。(※水着のため、画像の引用は自粛します)

そして数々のドラマ・CMに出演し、今では癒し系タレントとしてのイメージを守りつつ、現在に至るまで女優としての活動をしています。

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